酒呑み親父のよもやま噺

探求心旺盛な酒呑み親父の随想録

『迷い道』渡辺真知子

【今日の一枚】
『迷い道』渡辺真知子
1977年11月1日リリース(CBSソニー

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渡辺真知子」のデビューシングルである。
渡辺真知子」は,この曲で1978年大晦日の「第29回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。

売り上げ総計は80万枚を超え,『かもめが翔んだ日』『ブルー』『唇よ、熱く君を語れ』と共に,彼女の代表曲となっている。

高校生の頃のヒット曲である。
フォークソング」という呼び方をしなくなり,新たに「ニューミュージック」というジャンルが生まれたのがちょうどこの頃だったように思う。
まだ「Jーポップ」という言い方はなかった。

フォークソング」とは明らかに雰囲気の違う「ニューミュージック」の分野ではあったが,「ニューミュージック」と「歌謡曲」がどのように違うものなのかさっぱり分からなかった。

とりあえず『迷い道』は,高校時代の思い出とともに「ニューミュージック」黎明期を飾る一曲として私の印象に残っている。

 

『友ありて』南こうせつ

【今日の一枚】
『友ありて』南こうせつ
1982年9月5日リリース(キャニオンレコード)

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南こうせつ」の11枚目のシングルである。
1982年10月16日公開の日本映画「海峡」の主題歌として採用された曲である。

この映画は,青函連絡船洞爺丸事故以来,約30年間にわたり青函トンネルの工事に執念を燃やす国鉄技師らの物語を描いた映画である。

大学生の頃にリリースされた曲である。
映画の主題歌ということだったが,「南こうせつ」のシングルとして聴いただけで,当時上映されていた「海峡」は観ていない。

おそらく思いを寄せる女性のことを「友」という表現をすることで,一歩遠ざかって見ている視点から変わらぬ愛情を歌っていつところが素晴らしく,それ故の「友」に対する深い「思い」がひしひしと伝わる一曲に仕上がっている。

さすが,作詞を担当しているのが「阿木燿子」というだけのことはあると素直に思った。

ちょうど,「21歳の頃の記念すべき別れ」から一年ほどが経過した頃の曲ということもあって,当時の心情が曲と深くリンクしたということもあったのだと思う。

「遙かな道の途中で逢いたいああ友ありて君が変わらずにいるのなら訪ねたりはしない」の一節は,今聴いても胸が締め付けられるような思いがする。

個人的には「南こうせつ」の曲の中で,かなり上位にランクされる一曲であり,この曲にまつわる思い出も深い。

 

 

『襟裳岬』森進一

【今日の一枚】
襟裳岬』森進一
1974年1月15日リリース(ビクター)

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「森進一」の29枚目のシングルである。
演歌歌手がリリースしたが,作詞は「岡本おさみ」,作曲は「吉田拓郎」というフォーク全盛期を代表するコンビの作品である。

本作で1974年の「第16回日本レコード大賞」と「第5回日本歌謡大賞の大賞」をダブル受賞した。レコード売上は,累計で約100万枚を記録した。

中学生の頃のヒット曲である。
ヒットした当時,襟裳岬のある「えりも町」の人々は,サビに登場する「襟裳の春は何もない春です」という歌詞について,「何もない春」なんてないと反感を持ち,渡辺プロや作詞者の「岡本おさみ」宅への抗議の電話をしたという。

実際は,作詞した岡本おさみが襟裳に訪れた時に大変寒く,民家で「何もないですがお茶でもいかがですか?」と温かくもてなしされたことに感動して作詞したものであった。

それにしても,「吉田拓郎」が作ったフォークソングの,どちらかと言えば単純なメロディーを,これほどまでに感情のこもった「演歌」に歌い上げた森進一の歌唱力には脱帽した。

1974年に「吉田拓郎」がリリースしたアルバム「今はまだ人生を語らず」で,拓郎自身がセルフカバーしているが,拓郎の歌い方は完全に「フォーク調」であり,「森進一」が歌った『襟裳岬』とは全く別の曲かと思えるほどあっさりとした曲に仕上げている。

何れにしても,日本の歌謡史とフォークソング史に残る名曲として歌い継がれていくべき一曲であると言えよう。

 

『ダンスはうまく踊れない』高木澪

【今日の一枚】
『ダンスはうまく踊れない』高木澪
1982年7月21日リリース(キャニオンレコード)

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「高木澪」の3枚目のシングルとしてカバーされた曲で,作詞・作曲ともに「井上陽水」が手がけたものである。

TBS系のテレビドラマ「金曜ミステリー劇場」主題歌である。また,映画「蕾のルチア」の挿入歌としても使用された。

オリジナル盤は,「井上陽水」の現妻「石川セリ」が,1977年4月21日に6枚目のシングルとしてリリースしたものである。

この曲を初めて聴いたのは大学生の頃である。
石川セリ」盤ではなく「高木澪」盤の『ダンスはうまく踊れない』だった。

この曲は,「井上陽水」が「石川セリ」の気をひくために即興で作って「石川セリ」に贈ったものだと言われているが,こんな素晴らしい曲を即興で作ることが出来たところが,「井上陽水」の天才ぶりを示すものだと思う。

1984年にリリースされた「井上陽水」のセルフカバーアルバム「9.5カラット」には,「井上陽水」自身がカバーした『ダンスはうまく踊れない』が収録されているが,これがまた身震いするほど良い仕上がりである。

この頃の「井上陽水」は,名実共に絶頂期だったと思う。
自らの楽曲のみならず,「中森明菜」の「飾りじゃないのよ涙は」,「安全地帯」の「ワインレッドの心」,「水谷豊」の「はーばーらいと」など,他の歌手に贈った曲も名曲揃いで素晴らしい。

 

『好奇心』黒木真由美

【今日の一枚】
『好奇心』黒木真由美
1975年3月25日リリース(キングレコード

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「黒木真由美」のデビューシングルである。
1974年,日本テレビ「スター誕生!」の小倉市民会館で行われたテレビ予選で,山口百恵の『青い果実』を歌い合格する。

同年7月に行われた「第11回決戦大会」で,「平田隆夫とセルスターズ」の『強いほうがいい』を歌い,「審査員特別賞」を受賞(「最優秀賞」は岩崎宏美)した。

ところが,獲得の意思を示した会社は,8社だった「岩崎宏美」に対し,それを上回る18社だった。

中学生の頃にリリースされた曲である。
色黒でエキゾチックな顔立ちと,インディアンスタイルで,デビュー当時は一時期人気を集めた。

レコードのセールスは今一歩だったようで,シングルを5枚とアルバムを1枚リリースして,デビューから3~4年後には引退している。

久しぶりにレコードを手にしたとき,ジャケットを見て「黒木真由美」という歌手がいたということは覚えていたが,『好奇心』という曲を忘れてしまっていた。レコードを聴いてみたが,やはりこの曲は覚えていなかった。

レコードが手元にあるということは,当時はそれなりに話題になっていたのだと思うのだが,残念ながら手元に残る「黒木真由美」のレコードはこの一枚きりである。

 

『翳りゆく部屋』荒井由美

【今日の一枚】
『翳りゆく部屋』荒井由美
1976年3月5日リリース(東芝EMI

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荒井由美」の7枚目のシングルであり,「荒井由実」時代のラストシングルでもある。

ユーミン」が14歳の時(1968年)に作ったとされる『マホガニーの部屋』という曲が原型となっていると言われている。

東京目白にある「東京カテドラル教会」のパイプオルガンを使ってレコーディングされ,プロモーションビデオも同教会で撮影された。

中学卒業の頃のヒット曲である。
当時はまだ「フォークソング」にどっぷりとつかっていた私だったが,「荒井由美」から,現在の「松任谷由実」に変わる頃の「ユーミン」の曲は,しっとりとしていてとても好きだった。

まだまだ日本中に「フォークソング」が幅をきかせていた頃で,後に「ニューミュージック」と呼ばれるジャンルの曲がそろそろ出始めて頃だった。

この頃の「ユーミン」は,その先駆けだったと言えるのだろう。

60万枚超の売り上げを記録した6枚目のシングル『あの日に帰りたい』とともに「ユーミン」黎明期の名曲であり,代表曲と言えるだろう。

 

『人間の証明のテーマ』ジョー山中

【今日の一枚】
人間の証明のテーマ』ジョー山中
1977年8月10日リリース(ワーナーパイオニア

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ジョー山中」のデビューシングルである。
配給収入22億5000万円を記録した1977年公開の角川映画第2作「人間の証明」のテーマ曲としてリリースされもので,オリコン2位,ミリオンセラーという「ジョー中山」最大のヒット曲となった。

映画「人間の証明」は,高校生の頃のヒット映画で,角川春樹事務所製作の第2弾である。原作は推理小説作家「森村誠一」である。

映画公開時に用いられた有名な台詞「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」は,「西條八十」の詩がオリジナルであり,劇中でも語られている。

ちなみに第1弾は,1976年に推理作家「横溝正史」の探偵小説を映画化した『犬神家の一族』で,探偵「金田一耕助」役に「石坂浩二」をキャスティングした名作である。

角川春樹」時代の角川映画は,1978年の「野性の証明」,1979年の「戦国自衛隊」,1980年の「復活の日」,1981年の「セーラー服と機関銃」,1983年の「探偵物語」と「時をかける少女」の2本立てと,映画史上に残る名作を毎年のように公開した。

ちょうど,高校生の頃から大学時代にかけて時期だったのでの,これらの映画はすべて映画館まで観に行った。

最近の日本映画で,日本中を巻き込んでヒットしたという映画は「アニメ映画」が中心となってしまった。

映画の制作費をケチっているのか,映画離れが進んでいるのかは分からないが,時代が変わってきたということに違いない。

 

『青い果実』山口百恵

【今日の一枚】
『青い果実』山口百恵
1973年9月1日リリース(CBSソニー

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山口百恵」のセカンドシングルである。
「あなたが望むなら私何をされてもいいわ」という歌い出しのきわどい歌詞から,当時の歌謡界に波紋を広げたこの歌がヒットし,山口百恵の「青い性路線」が始まった。

これは「ひと夏の経験」でピークに達し,その後も千家の作品である『愛に走って/赤い運命』まで続くことになる。

山口百恵」にとってオリコンで初めてのベストテン入り作品となったり,総計20万枚を売り上げる大ヒット曲となった。

中学生の頃のヒット曲である。
デビュー曲『としごろ』は,曲の雰囲気と「山口百恵」自身の雰囲気との違和感を感じたが,セカンドシングル『青い果実』でその違和感は完全に払拭された。

山口百恵」の「神話伝説」は,この曲から始まったと言ってもいいのではないかと思う。

 

『ケンとメリー~愛と風のように~』バズ

【今日の一枚】
『ケンとメリー~愛と風のように~』バズ
1972年11月25日リリース(キングレコード

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「バズ」のデビューシングルである。
メンバーの一人「高橋信之」が,CM業界で活躍していた縁で,日産スカイラインのCMソングを担当することになり,そのCMソングに起用された『ケンとメリー~愛と風のように~』でレコードデビューした。

CMで使われた効果もあって,オリコンチャート19位まで昇るヒットとなり,総計33万枚を売り上げる大ヒット曲となった。

小学生から中学生にかけての頃のヒット曲である。
「ケンとメリーのスカイライン」は,1972年に登場した4代目 C110型 スカイラインにつけられたネーミングで,通称「ケンメリ」と言った。

後に,スカイラインのトレードマークになる「丸目4灯テール」の元祖であり,歴代でもっとも売れたスカイラインである。

ケンとメリーが,このスカイラインに乗り日本各地を旅するシリーズCMは,社会現象を引き起こした。

この曲が流れるスカイラインのCMを観ながら,「大人になったら絶対ケンメリを買うぞ!」と心に誓ったぐらい中学生の心も虜にした。

大学を卒業した頃のスカイラインは,「6代目 R30型」(通称: New愛のスカイライン)になっていた。大学卒業仕立てのヒヨコが,雀の涙ほどの給料を削って貯めた資金では「スカイライン」高嶺の花だった。

結局,身分相応なところで,最初期の「ホンダCity-R」を買ったのだが,今でもこの曲を聴くと何となくスカイラインを運転してみたくなるのだ。
もちろん助手席には「メリー」を乗せて…。

 

『たどりついたらいつも雨ふり』モップス

【今日の一枚】
たどりついたらいつも雨ふりモップス
1972年7月5日リリース(東芝音楽工業)

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モップス」の12枚目のシングルである。
よしだたくろう」がアマチュア時代に所属していたGSバンド「ダウンタウンズ」の曲で,「第2回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場した際に演奏した曲に新たに歌詞を付け直したものであると言われている。

作詞・作曲者の「よしだたくろう」は,1972年のアルバム「元気です。」と1997年のセルフカバーアルバム「みんな大好き」で,この曲をセルフカバーしている。

小学生の頃にリリースされた曲だが,この歌を最初に聴いたのは,「よしだたくろう」のアルバム「元気です。」のものだった。

よしだたくろう」の曲だと思っていたら,後に,「鈴木ヒロミツ」が率いるサイケデリック・ロックバンド「モップス」の曲だと分かった。

この頃の「よしだたくろう」の曲は,どの曲を取っても名曲と言えるものが多いように思う。アルバムで言えば,1stアルバム『青春の詩』,2ndアルバム『人間なんて』,3rdアルバム『元気です。』,4thアルバム『御伽草子』の頃にあたる。

5thアルバム『人生を語らず』のあたりからは,曲がマンネリ化してきたし,マスメディアにも登場するようになってからは,彼自身の神秘的イメージも失われたように思う。

その後も「よしだたくろう」の曲は聴き続けたが,もしかするとその絶頂期は,デビューからの数年間に集約されていたのかも知れない。